「反愛国主義」アン・リネル

原文:Han Ryner「Anti-patriotism」(1934)読みやすさのため改行を追加した。


「祖国」や「愛国心」についての記事に属する考察をここで避けられるだろうか?

愛国心が君臨したその瞬間、理性と感情の反応として、反愛国主義が現れた。それは個人主義、人類すべてへの愛、あるいはひとりの人間への愛(ホラティウスの妹カミーユのように)にどれほど意識的に依拠しているか、さらには他国の法や道徳に対する理性的もしくは感傷的な好みによって、さまざまな形を取った。

ブッダは、当然にしていかなる排他的な愛国心にも敵対的だった。彼は、いわゆる「人間中心主義human chauvinism」すら認めず、あらゆる生きとし生けるものにその慈悲を広げた。

ギリシアにおいては、ソフィストたちが反愛国的だった。彼らの中でも最も偉大なソクラテスは、「私はアテナイ市民ではない。世界市民である」と宣言した。彼は「書かれざる法律」、すなわち良心の名のもとに祖国を否定した。他のソフィストたちはより利己的に、個人主義の名のもとに祖国を否定した。

しかし彼らの同時代人アリストパネスは、祖国である民主主義的なアテナイを憎んでいた。というのも、彼はラケダイモン(スパルタ)の貴族的体制を賞賛していたからである。

(この点で、ポール・ブルジェ氏やレオン・ドーデ氏が、ドイツ軍の指揮系統の精密な力に目を奪われて、数年間、素朴な愛国主義を持ったことを想起せよ。ちょうど小さなジゴロ(男娼)たちが、ほとんど不可避的に最も恐るべき〈テロル〉に身を委ねるように。)

プラトンとクセノポンは、ソクラテスの出来の悪い弟子であり、彼を歪めて利用した。この点でシャルル・モーラスがオーギュスト・コントを歪めて利用したのと同様である。彼らもまたアリストパネスと似た感情を抱いていた。クセノポンは、ついには自国に対して戦うこととなり、ラケダイモン軍の一員となった。

キュレネ派の哲学者たちは反愛国的だった。そのうちの一人、無神論者テオドロスは、多くの賢者たちと同様にこう繰り返した。「世界こそが我が祖国だ」。彼はこうも付け加えた。「祖国のために自己を犠牲にすることは、狂人どもを救うために英知を放棄することだ」と。だが、彼は間違っていた。それは狂人の自滅を助ける、ということなのだ。

キュニコス派は大胆に反愛国主義を唱えた。アンティステネスは、自分がその地の出身であることを誇る人々を嘲笑した。それはある種のナメクジやすばらしきバッタたちと共有する栄光にすぎない、と彼は指摘したのである。

ディオゲネスは、愛国者の感情的な行動を嘲るために、熱狂に包まれた都市の中で自分の樽を転がして歩いた。彼の弟子であるクレタ人のクラテスはこう宣言した。「私はテーバイの市民ではない。ディオゲネスの市民だ」。

プルタルコスは、すべての公的職務を拒否したエピクロス派やストア派の軽蔑的かつ実際的な反愛国主義を非難している。エピクロス派はいくらかの感情だけを認め、その心を少数の友人たちのために取っておいた――友人はどの国の出身であってもかまわなかった。

ストア派はその愛をすべての人間に広げた。「利害からではなく心から人間を友とする自然」に従ったのである。キリスト教より四世紀も前に、彼らは「慈愛charity」というものを発明していた。「慈愛」は、理性を分かち合うすべての者――人間と神々と――を一つの家族に結びつけるものである。

最初期のキリスト教徒は、ストア派、エピクロス派、そしてその他の賢者たちと同様に反愛国的であった。ユダヤのキリスト教徒たちはエルサレムの崩壊にも心動かされなかった。ローマ出身のキリスト教徒たちは、ローマの崩壊を頑なに予言していた。彼らが愛していたのはただ天上の祖国のみであり、テルトゥリアヌスは彼らの名においてこう言った。「われわれにとって最も無縁なもの、それは公共の事柄である」。

彼らは福音書の精神に忠実であった。そこでは〈善きサマリア人〉のたとえ話が、真にキリスト教的なフランス人によって〈善きプロイセン人〉のたとえ話へと訳されることだろうし、福音的なドイツ人によっては〈善きフランス人〉のたとえ話へとされることだろう。そして〈善き〉という語は、ヒンデンブルクやアカデミー会員ジョフルのような者のそれとは、まるで異なる意味を持つのだ。

カトリック性(catholicity)とは普遍性を意味する。カトリシズムは国際的であり、したがって自覚的かつ誠実であるならば、それはある種の反愛国主義である。より近代的な「インターナショナル」は、戦争を革命に、国家間の敵対を階級闘争へと置き換えようとする。カトリシズムの原理では、信者と不信者のあいだに区別を設けることは許されていない。

現代のカトリック信者たちは、自分たちの愛国心を誇りにしているが、まさにそのことで自らのカトリック性を否定していることに気づいていない。それは、社会主義政党や共産主義政党の党員が「国防」に同意するとき、自覚的にせよ無自覚にせよ、もはや自分を社会主義者と名乗ることができなくなるのと同じである。

カトリック的な意味は、今なおわずかな人々の中に生き続けている。たとえば『地獄の戦争(La Guerre Infernale)』の著者ギュスターヴ・デュパン、『キリストと祖国(Le Christ et la Patrie)』の著者グリヨ・ド・ジヴリ、『至高の哲学(La Philosophie Suprême)』の著者アンリ・マリアーヴ博士などである。こうした人々は、いわゆる「同胞たち」からは忌むべき存在と見なされている。

反愛国的な真理を、よりバランスのとれた力強さと明晰の意識をもって語った者は、トルストイ以外にいない。彼のパンフレット「愛国心と政府」は、「愛国心がいかに時代遅れで、不適切で有害な観念であるか」を示している……「感情としての愛国心は邪悪で有害であり、教義としての愛国心は馬鹿げている。というのも、もしすべての民族すべての国家が自らを最良の民族、国家と見なすならば、それは皆、とんでもない有害な誤りを犯しているのが明らかだからだ」

トルストイは次に説明する。「この古い観念(愛国心)は、他のあらゆる側面では変化してしまった世界の秩序と明らかに矛盾しているにもかかわらず、人々に影響を及ぼし、行動を導き続けている」。支配者たちだけが、この観念を「もはや何の意味も有用性も持たない」と知りつつ、容易に催眠にかかる民衆の愚かさを利用し、また保持することに「利得を見出している」。彼らはこれに成功する。なぜなら彼らは、買収された報道機関、奴隷的な大学、野蛮な軍隊、腐敗させる予算、そして人間に影響を与える最も強力な手段をもっているからだ。

植民地の先住民たちの要求や、少数のアイルランド人、ブルターニュ人、オクシタニア人の独立主義的感情に関わる場合を除けば、今日「愛国心」という言葉はほとんど常に虚偽のかたちで使われている。

「祖国のために」として求められる犠牲は、実際には別の神、すなわち我々の祖国を破壊し、強奪した国家(それがどの国であれ)に捧げられるのだ。もはや誰も、巨大で異質な現代国家の中に祖国など持ってはいない……。

生まれた土地への愛が、排他的であるかぎり、それは愚かで馬鹿げており、進歩の敵である。もしそれが知性への道となるのであれば、私はそれを讃えるだろう――ちょうど木陰に休む者が、その木の種を讃えるように。

私の幼少期の土地への愛、そして、言ってみれば最初に我々の耳に微笑んだ言語への愛から、自然のあらゆる美しさと人間のすべての言語の物思いに沈む音楽への愛が生まれるべきだ。

我が山への誇りが、ほかの峰々を敬うことを教えてくれるように願う。我が川の優しさが、すべての水の夢と心を通わせることを教えてくれるように。我が森の魅力が、あらゆる森の節度ある優美さを見出すことを学ばせてくれるように。そして、馴染みのある思想への愛が、新しい思想や遠くから訪れる豊かさから私を遠ざけることが決してないように。

子どもの大きさを超えて人間が成長するのと同じく、最初に出会う美しさは、あらゆる美しさを理想的に理解し、味わい、征服することを可能にしてくれる。これら素朴な記憶のうちに、他の言語を聞くことを妨げる、貧しく哀れな言語しか聞きとれないとは、なんという貧困だろうか!

幼年時代の記憶にあるアルファベットを愛そう――それこそが、私たちの人生が次々と、あるいは同時に与えてくれる豊かさのすべてのテクストを読むことを可能にしてくれるものなのだから。

 

〚本文ここまで〛


解説

カミーユは、古代ローマの伝説に登場する悲劇的な女性。ローマの英雄ホラティウスの妹で、敵国アルバ・ロンガの戦士クリアティウスと婚約していた。兄ホラティウスは戦争でその婚約者を殺して勝利するが、帰還した彼に対してカミーユは激しく嘆き、怒りをあらわにする。それに怒ったホラティウスは、「国家のために戦った自分を非難する者はたとえ妹でも許せない」として、彼女を剣で刺し殺す。この話は、愛や個人の感情が、国家や義務によって押しつぶされるというテーマを象徴しており、カミーユは個人の悲しみの声をあげたがゆえに殺される存在として描かれている。

善きサマリア人は新約聖書のたとえ話で、敵視されていたサマリア人が倒れていた旅人を助けたことから、真の隣人とは立場や宗教に関係なく、困っている人に憐れみを持って行動する者であると説かれる。普仏戦争、WW1とフランスとドイツ(プロイセン)は敵対していた。

オクシタニア人はフランス南部の少数民族。

ポール・ブルジェ(Paul Bourget, 1852–1935)
フランスの小説家・批評家。自然主義の時代に心理主義小説を展開し、精神分析的観察を小説に取り入れた。後年はカトリックと保守主義に傾いた。
レオン・ドーデ(Léon Daudet, 1867–1942)

フランスの作家・政治活動家。作家アルフォンス・ドーデの息子で、右派ナショナリズムの急先鋒。
アンティステネス(Antisthenes, c. 445-c. 365)
古代ギリシアの哲学者で、ソクラテスの弟子にしてキュニコス派(犬儒派)の創始者。
アリストパネス(Aristophanes, c. 446 - c. 385)
古代アテナイの喜劇作家で、鋭い風刺によって政治や社会を批判した。とりわけ民衆扇動家や戦争推進者への攻撃に優れ、民主政の堕落を嘆く姿勢が目立つ。
テルトゥリアヌス(Tertullianus, 155-240)
北アフリカ出身の初期キリスト教教父で、ラテン語神学の先駆者。異教哲学との決別を強調し、「不合理ゆえに信じる」という逆説的信仰観を展開した。国家や軍務への参加を拒否し、初期キリスト教の反国家・反愛国的立場を鮮明にした。
パウル・フォン・ヒンデンブルク(Paul von Hindenburg, 1847–1934)
ドイツ帝国・ヴァイマル共和国時代の軍人・政治家。第一次世界大戦ではドイツ陸軍の元帥として有名で、タネンベルクの戦いで勝利し英雄視された。戦後はヴァイマル共和国の大統領となり、最終的にアドルフ・ヒトラーを首相に任命した。
ジョゼフ・ジョフル(Joseph Joffre, 1852–1931)
フランスの軍人で、第一次世界大戦初期にフランス軍の総司令官を務めた人物。1914年の「マルヌの戦い」でドイツ軍の進撃を阻止したことで「マルヌの勝利者」と称えられ、英雄扱いされた。後にアカデミー・フランセーズの会員(アカデミシャン)にも選出され、フランス共和国の象徴的人物となった。
シャルル・モーラス(Charles Maurras, 1868–1952)
フランスの政治思想家・詩人。君主制、カトリック、国家中心主義を柱とする「統合的ナショナリズム(nationalisme intégral)」を提唱。
プルタルコス(Plutarch, c. 46 – c. 120)
古代ギリシアの倫理哲学者・歴史家。ローマ時代に活動し、倫理的ストア主義とプラトニズムの折衷思想家として評価されている。
グリヨ・ド・ジヴリ(Grillon de Givry 1874-1929)
フランスのカトリック教徒の文学者、オカルティスト、平和主義者であり、パラケルススを含む多数の錬金術の著作をフランス語に翻訳した。

アン・リネル

ジャック・エリー・アンリ・アンブロワーズ・ネル(1861年12月7日 – 1938年2月6日)、通称アン・リネル(Han Ryner)は、フランスの個人主義的アナーキズムの哲学者、活動家、小説家。極めて徹底した個人主義を主張し、国家や社会的権威を否定した。自己の自由と良心に基づく生き方を説き、暴力に訴えない非暴力的アナーキズムを唱えた。主にストア派とエピクロス派の影響を受けている。

アン・リネルについては、読売新聞記者の松尾邦之助による人物評、邦訳が国立国会図書館デジタルコレクションで読める。