「ボノー事件の2つの教訓」ヴィクトル・セルジュ

原文:Two Lectures(1912)

社会に対する個人

1) むしろその逆が真理であると言うべきである。

2) 社会はあらゆる個人の敵である

ある集団とは、単なる個人を足していったものではない。それ自体の心理学と生命力を有する。ゆえに、それは存続し、生き延びようとする。

3) 社会が存続するためには、ふたつの法則に従う必要がある

 A - 社会的保存の法則。社会は自己を生みだしたものを保持する
 = 伝統的である
 = 変化の敵である

 B - 社会的順応主義の法則。社会はすべての個人がこの目的のために行動することを求める――すなわち、あるタイプに順応することを。社会は強制によって之を実現する。君主の臣民。民主主義の市民。

 よって=独自性
 個人的独立の敵である

4)(独自的に自由に)存在するためには

個人は社会に抵抗しなければならない。

  A. 課せられた社会的義務に抗して
 例:兵役
 賃金労働
 法令遵守
 道徳および慣習への尊敬

 B. そしてより難しいこととして:
 社会的状況によって内面に生じた歪みに対抗すること
 例:偽善
 所有欲(性的なものを含む)
 無気力
 媚びへつらい
 権威主義
 強制的連帯
 (ル・ダンテック『不可欠なる偽善』参照)

5) かつてそうであり、今もそうである。これからもそうなのか?

残念ながら、そうである。
社会の生存に関わる法則は、自然法だ。
ここで共産主義的楽園を想像してみよう:

――そこには社会状態はなく、産業の終焉、完全で永続する個人に対する戦争がある。
――そこには集団的種強制がある。

――このような社会では、独自的であることは、せいぜい眉をひそめられる程度にしか容認されない。
道徳的強制。

6) ではどこに社会的進歩があるのか?

闘争の場が変化することにおいて。
もはや我々はパンのために戦わないだろう。
拘束はもはや物理的暴力的ではないだろう。
それでもなお!

7) ではこれら結論にどんな意味があるのか?

 A――社会的未来になんら幻想を抱くべきではない
 B――社交的であるべきだが、社交性に騙されてはならない。徒党を組む精神に陥らないこと。

盗賊

1) 時事がこの主題を提供する

 犯罪が増加していることは事実である。
 人々は殺し、盗み、詐欺を働く。
 この機会を利用して、我々がこれについてどう考えるかを述べておこう。

2) 我々はこれをどう考えるか。

 我々は、これが論理的であり、
 不可避であり、
 必要であると考える。

 社会的組織が犯罪を生む。
 すべてが売られ、すべてが盗まれる。
 制度と犯罪の対応関係を見よ:

 所有――盗窃
 権威――反抗
 法律――詐欺

 貧困――盗賊行為
 抑圧――報復

一方に社会があり、他方にいくらかの個人たち。

3) 犯罪者のなかには、以下を区別することができる。

 不運な、ブルジョワ的魂をもつ者たち
 不器用な、失業者たち

そして反抗的な者たち――

 徴兵忌避者、脱走兵、窃盗者。
 奴隷制に適応しなかったがゆえに。

彼らは大胆さと

 決意

によって際立っている。

私は前者をどれほど軽蔑しているか――
そのぶん、後者をどれほど愛しているか。

4) 彼らは我々とともに、生命を要求することを敢えてする、ただひとにぎりの人間たちである。