「無政府共産」 現代語訳
原文は異様な熱量とコミカルさがあって味があるのだけど、マアー、さすがに読みにくいので現代語訳した。原文読みたい人は下にあります。
入獄記念 無政府共産
小作人ハナゼ苦シイカ
人間にとって最も大事で、なくてはならぬ食物を作っている小作人諸君。
諸君はマアー、まことに、ご先祖の昔から、この人間にとって最も大事な食物を作るために一生懸命働いてきたにもかかわらず、年が明けても、また明けても、「足りぬ足りぬ」で終わってしまうとは、なんという不幸であろうか。
それは仏者の言う「前世からの悪業の報い」なのであろうか。
しかし、諸君よ、二十世紀という世界的な今日において、そんな迷信にだまされていては、しまいには牛や馬のような存在に成り下がるしかない。
諸君、それを嬉しいと思うか? 毎年毎年、貧乏にあえぎ、「足りぬ足りぬ」と泣きわめいて暮らすことを。
もし仮に、冬の寒い時に、老いた親を連れて、逗子や鎌倉、沼津や葉山へと寒さを避けて遊び歩いたために金が足りなくなった、というのであれば、それには多少なりとも納得のしようがある。
もしまた、夏の暑さを避けるために、病める妻子を引き連れて、箱根や日光へと出かけ、そのために今年は少し足りなくなった、というのであれば、それにも慰めがあるだろう。
あるいは、「今年は長男をドイツへ留学させ、弟を大学に通わせ、娘を高等女学校に入れた。そのために山林を一町売った」とか、「田地を五反買い入れた」などというのであれば、将来の楽を当てにして、妻との夜の寝物語も、苦いものではないはずだ。
ところが、諸君が年がら年中「足りぬ足りぬ」と嘆くのは、決してそうした贅沢の結果ではない。
正月が来たところで、盆が来たところで、新しい着物一枚着るでもなく、世は二十世紀の文明で建築術も進歩したと言うのに、諸君の家にはそんなものの影すらない。
諸君の家は、五百年も千年も前と変わらぬままである。
しかしそれは、決して諸君の怠惰のせいではない。着物は呉服屋に金を出さねば買えず、家は大工に手間賃を払わねば建たぬ。だが悲しいことに、諸君はその金を持たない。ゆえに、諸君の着物はいつもボロボロで、家はまるで獣の巣だ。
しかしながら、食物だけは諸君自身が作っているんだから、一番上等のものを食べているのかと言えば、決してそうではない。
上等な米は地主に取られ、自分は栗飯や麦飯を食い、それでも地主や商人以上に働いている。それでいて、年が明けるたびに「足りぬ足りぬ」と言うのが、小作人諸君の一生の運命なのである。
これはマア、一体どういうわけであろうか。一口に歌えばこうだ。
なぜにおまえは貧乏する
ワケを知らずば聞かしてやろか
天子、金持ち、大地主
人の血を吸うダニがいる
諸君はよーく考えてみたまえ。年がら年中、汗水たらして作ったものを、半分は地主という泥棒に取られ、残る半分で酒や醤油や塩や肥料を買う。その酒にも、肥料にも、すべての物に、ことごとく政府という大泥棒による税金がかかってくる。そのうえ、商人という泥棒が儲けやがる。
かくして、小作人諸君のように、自分の土地というものを持たず、正直に働いている者ほど、一生涯、貧乏から離れることはできないのである。
まだそれだけで済むならば良い。
しかし、もし男の子が生まれれば、小さいあいだは貧乏の中で育てあげ、「ああ、うれしい。これからは田畑の一畝(ひとあぜ)でも余分に作って、借金なしでも暮らしていけるようにしよう」と思った矢先、二十一歳になれば、嫌でも何でも、兵隊に取られてしまう。
そうして三年のあいだ、小遣い銭を送り、聞きたくもない人殺しの稽古をさせられる。それで戦争になれば、人を殺すか、自分が殺されるかという、血なまぐさいところへ引きずり出されるのである。
息子が兵隊に三年間取られているあいだに、家に残された父親は、娘を連れて乞食に出たという者もいる。
兵隊に取られた息子は、家が貧乏で、金は送ってもらえず、金がなければ古兵にいじめられるので、首をくくって死んだ者、川へ飛び込んで死んだ者、あるいは鉄道で死んだ者など、どれほどいるかわからないのである。
こんな具合に、小作人諸君は、徹底的にいじめられているのである。
諸君が、朝は一番鳥とともに起き、夜は暗くなるまで働いたとしても、諸君と貧乏とは、決して切り離すことができない。
これは一体なぜであろうか。
同じ人間として生まれてきながら、地主や金持ちの家に生まれれば、二十四、五歳になっても、三十歳になるまでも、学校や外国へ遊びに行っていて、そして家に帰れば、夏は涼しい場所に移って暑さをしのぎ、冬は暖かな海岸に家を建てて、遊び暮らしているではないか。
自分では桑の葉一枚摘むこともなく、絹の着物にくるまって、酒池肉林の贅沢をし、何ひとつせずに一生を遊び暮らしているのである。
諸君は知らぬことかもしれぬが、大地主や金持ちが、夏の三十日間を日光や箱根で遊ぶのに、一人で二千円や三千円の金を使うというではないか。三千円だぞ。
諸君が二十歳の年から五十歳まで、休まず食わずに働いたとしても、三千円という金は貯まりはしないではないか。それでいて、そうした者たちは、兵隊などには出なくてもよいのである。
小作人諸君、諸君もきっと、今の金持ちや大地主のように、贅沢をしたいと思っているであろう。たまには遊んで、うまいものを食いたいと思っているであろう。だが、それが諸君にはできないのは、諸君が一つの迷信を持っているからである。親や先祖の昔から、この迷信を大切にしてきたがために、地主や金持ちがやっているような贅沢を、夢に見ることさえできないのである。
われわれの言うことを聞いて、今すぐにでもその迷信を捨て去れば、諸君はほんとうに安楽で自由な人間になれるのだ。
だが、天皇や金持ちは、諸君にその迷信を捨てられてしまっては、自分たちが遊んで贅沢をすることができなくなるので、昔から、天皇でも大名でも、この迷信を「なくてはならぬ有難いもの」に仕立てあげて、諸君を欺いてきたのである。
だからこそ、諸君にとっては、今の天皇でも大臣でも、昔の徳川でも大名でも、親や先祖の時代から積もり重なった仇、すなわち大敵であるということを、決して忘れてはならないのである。
明治の今日においても、その通りである。
政府は一生懸命になって、上は大学の博士から、下は小学校の教師に至るまでを総動員して、諸君にこの迷信を捨てられぬようにしている。そして諸君自身もまた、それを「ありがたいことだ」と思っている。だからこそ、諸君は一生涯、いや、孫や子の代に至るまで、貧乏から逃れることができないのである。
では、小学校教師などが、諸君や諸君の子供たちに教え込んでいる迷信とは何であるか。迷信とは、間違った考えを尊いものとして、大切に守っていることを言う。なぜ諸君が昔からこの間違った考えを抱き続けてきたのかについては後に述べるとして、まずは、どのような「間違った考え」が迷信なのかを語ってみよう。
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諸君は地主から田や畑を作らせてもらっているのだから、そのお礼として小作米を差し出さねばならぬ
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政府があってこそ、われわれ百姓は安心して仕事ができるのだから、そのお礼として税金を納めねばならぬ
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国に軍備がなければ、われわれ百姓は外国人に殺されてしまう。だからこそ、若くて丈夫な者を兵士に出さねばならぬ
この三つの間違った考えが、深く人々の心に染み込んでいるために、どれほど貧乏しても、小作米と税金と子供を兵士に差し出すことに、反対することができなくなっている。
もしも、「小作米を差し出さなくてもよい」「税金を納めなくてもよい」「かわいい子供を兵士に差し出さなくてもよい」と言う者があれば、「それは反逆者である」「国賊である」などと言われ、その実、自分たちにとって安楽と自由をもたらすことになる主張を、聞きもしなければ、読みもしないまま終わってしまう。ここは一度、じっくりと考えて読んでもらいたい。
ではなぜ、小作米を地主に差し出さなくてもよいのか。
それは、小作人諸君が耕している田畑を、春から秋まで、鍬も入れず、種も蒔かず、肥料も施さず、放っておいてごらんなさい。秋が来たところで米は一粒もできない。夏が来たとしても、麦は一粒も採れはしない。
ここを見れば、すぐに分かるではないか。秋になって米ができ、夏になって麦がとれるのは、百姓たる諸君が、一年中、汗水を流して、休まずに働いた結果である。
そうであるならば、自分が働いてできた米や麦は、すべて百姓諸君のものである。何をどう寝ぼけたら、「地主に半分差し出さねばならぬ」などという理屈が出てくるのか。
土地というものは、もともと天然自然に存在していたものを、われらの祖先が切り開き、耕し、食物がとれるようにしたのである。その土地を耕して得た物を自分のものにすることの、いったいどこが「反逆」なのか。
小作人諸君、諸君は長いあいだ、地主に盗まれてきたのである。
しかし、今という今、この迷いが覚めて目を開いたならば、この長く積もった恨みを晴らすために、年貢を出さないばかりでなく、地主の蔵にある麦でも金でも取り返す権利がある。
地主の蔵にあるすべてのものを取り出すことは、決して泥棒などではない。諸君とわれわれが、長いあいだ奪われていたものを回復するという、まさに名誉ある事業である。
次に、「政府に税金を出さなくてもよい」ということについて、なぜそう言えるのか。
小作人諸君、難しい理屈などはいらない。諸君は「政府」というものが存在するおかげで、どれだけの安楽が得られているというのか。
少しでも「これが政府さまの有り難いところだ」と言えることがあれば、どうか口にしてみたまえ。
昔から、「泣く子と地頭には勝てぬ」と言うように、無理な圧制を加えるのが、「お上(かみ)」の仕事と決まっているではないか。
こんな厄介者を生かしておくために、正直に働き、税金を納めている小作人諸君が貧乏にあえいでいるとは、まさに馬鹿の極みである。
諸君は、この馬鹿げた政府に税金を出すのをやめ、一日でも早く、この厄介者を滅ぼしてしまうべきである。そして、親や先祖の時代から無理やり奪われてきた政府の財産を取り返して、万人の共有財産とするべきである。これは、諸君にとって当然の権利であり、正義を重んじる者はみな、進んで万民の自由と安楽のために、政府に反抗すべきなのである。
今の政府を打倒し、天皇のいない自由国家とするということが、なぜ「反逆者のなすべきこと」ではなく、「正義を重んずる勇士のなすべきこと」なのか。それは、今の政府の親玉である「天子(てんし)」というのが、諸君が小学校の教師などにだまされて信じているような「神の子」などでは、まったくないからである。
今の天子の先祖は、九州の隅から現れ、人殺しや強盗を働いて、同じ泥棒仲間であったナガスネヒコなどを滅ぼした、いわば熊坂長範(くまさかちょうはん)や大江山の酒呑童子(しゅてんどうじ)が成功したようなものである。
神であるはずがないことなど、少し考えてみればすぐに分かる。
「二千五百年続いてきた」と言えば、まるで神のように思われがちだが、その代々は、外には蛮夷(ばんい)に悩まされ、内には家臣たちの玩具にされてきたのである。
明治になってからもまったく同じである。
内政にも外交にも、天子は苦しみ通しである。
天子が苦しもうが、それは自業自得ゆえ勝手にすればよい。しかし、そのために、正直に働いている小作人諸君が、今日一日を食うことにすら苦しまねばならぬというのだ。日本は「神国」だなどと言っても、諸君にとっては少しもありがたいものではないであろう。
これほど当たり前のことを、大学の博士や学士といった弱虫どもは、口にすることも書くこともできないで、嘘八百で人をだまし、自分自身をも欺いている。
また、小学校の教師なども、天子の有り難い話を語るのには困っているが、だんだんと嘘が上手くなって、一年に三度の大祝日には、しれっとすました顔で、天子は神の子であるなどということを、諸君やその子供たちに教え込んでいる。
こうして、神の面をかぶった泥棒の子孫のために、生涯にわたって働き、使われるように教育されているのだから、諸君はいつまでも貧乏から逃れることができないのである。
ここまで説いてきたことを見れば、いかに我慢強い諸君といえども、自分たちが奪われてきたものを取り返すために、命がけの運動をしようという気持ちが湧いてくるはずである。
小作人諸君、諸君は長らく迷信のために、「国に軍隊がなければ、民百姓は生きていけぬ」と信じていたことであろう。なるほど、昔も今も、戦争となれば、軍隊を持たぬ国が他国に滅ぼされるのは道理である。
だが、それは「天子」や「政府」といった大泥棒が存在しているからにほかならないのである。
戦争というものは、政府と政府との喧嘩ではないか。つまり、泥棒と泥棒とが仲間割れをするために、民百姓が難儀をするのである。したがって、この「政府」という泥棒をなくしてしまえば、戦争というものも無くなる。戦争が無くなれば、かわいい子供を兵士に差し出す必要もないということは、すぐに分かるであろう。
ゆえに、小作米を地主に差し出さぬようにし、税金や子供を政府に差し出さぬようにするには、「政府」という大泥棒をなくしてしまうことが、一番の近道であるという結論に至る。
では、いかにしてこの主義を実行に移すかというと、方法はいろいろとあるが、まず小作人諸君としては、十人でも二十人でも連合して、地主に小作米を出さぬこと、政府に税金や兵士を出さぬことを実行するのがよい。
諸君がこれを実行すれば、正義とは仲間を増すものであるから、一つの村から一つの郡へと、そして郡から一県へと、ついには日本全国から全世界へと波及していき、ここに安楽と自由をそなえた無政府共産の理想の国が生まれるのである。
何事も、犠牲なくして成し遂げられるものではない。「我こそは」と思う者は、この正義のために、命がけの運動をせよ。
(終わり)
「無政府共産」原文
曹洞宗選書 第6巻 P245より引用する。
入獄記念 無政府共産
小作人ハナゼ苦シイカ
人間の一番大事な、なくてはならぬ食物を作る小作人諸君、諸君はマアー、親先祖のむかしから、此人間の一番大事な食物を作るのに一生懸命働いておりながら、くる年もくるとしも、 足らぬたらぬで終るとは、何たる不幸の事なるか。
そは佛者の謂ふ前世からの悪報であらふか。併し諸君、二十世紀といふ世界てきの今日では、 そんな迷信にだまされておつては末には牛や馬のやうにならねばならぬ。諸君はそれをウレシイと思ふか、来るとしも、くるとしも貧乏して、たらぬたらぬと喚くことが。もしも、冬の寒い時に、老いたる親をつれて、づし(逗子)やかまくら(鎌倉)、沼づ(沼津)や葉山と、さむさを厭ふて遊んであるいた為だといふならば、そこに勘忍のしやうもある。もしも夏の暑い時に、病めるツマ(妻)子を引きつれて、箱根や日光に、アツサを避け夕其タメに、ことしは少しタラぬとでもいふならば、ソコニ慰める事もできよう。
ことしは長男をドイツに遊学させ、弟を大学に、娘を高等女学校へ入れタノデ、山林も一町ウツタとか、デンデ(田地)を五たん買入したとかいふならば、後の楽をアテにして、ツマとの寝物がたりも苦くはなからう。
ところが、諸君の年が年中、タラヌたらぬといふのは、決してそんなゼイタクなわけではない。正月がきたとて、ボン(盆)がきたとても、あたらしい着物一まいきるではなし、よ(世)は二十世紀の文明に建築術は進んだといふても、諸君の家には音きたがない。諸君の家は五百年も千ねんも、イゼンの物である。しかしそれは少しも無理ではない。着物はゴフクやにゼニ(銭)をだせねばならぬ。家は大工に手まちんを払はねばならぬ。しかも諸君は悲いことに、其ぜにを持たない。 そこで諸君の着物はいつでもボロボロで、家は獣の巣のやうである。
しかしナガラ、食もつ(物)は諸君がじぶんで作るのであるから、一ばん上等のモノをくふておるかといふに、決してそうではない。上等の米は地主にとられて、ジブン(自分)は栗めしや、ムギめしを食して、そうして地主よりも商人よりも多く働いておる。それデすら、くる年モタラぬタラぬといふのが、小作人諸君、諸君が一生涯の運である。
これはマア、どうしたワケであらうか。一口に歌つて見れば、
なぜにおまいは貧乏する、ワケをしらずばきかしてやろか。
天子金もち、大地主、人の血をすふダニがおる。
諸君はヨークかんがいて見たまへ。年が年中、アセ水ながして作った物を、半分は地主と云ふ泥坊にトラレ、のこる半分で、酒や醤油や塩やこやしを買ふのであるが、其酒にも、コヤシにも、スベテの物に、ノコラズ政府という大泥坊の為にトラレル税金がかかつて、其上に商人と云ふ泥坊がモウケやがる。ソコデ小作人諸君のやうに、自分の土地と云ふ者を持たずに、正直に働いておるとは、一生涯貧乏とハナレル事は出来ないのである。
マダそればかりならヨイが、男の子が出来れば、チサな間貧乏のなかで育てあげ、ヤレうれしや、コレカラ、でんぱた(田畑)の一あぜも、余分に作って、借金なしでも致したいと思ふまもなく、 二十一となれば、イヤデモ何でも、兵士にとられる。そうして三年の間、小遣ゼニを送って、 キキタクもない、人ゴロシのけいこをさせられる。それで戦争になれば、人を殺すか、自分で殺されるかと云ふ、血なまグサイ所へ引つぱりだされる。
セガレが兵士に、三年とられておるうちに、家におるおやぢは、ツマコをつれてコジキに出だしたといふ者もある。兵士にでたセガレは、うちが貧乏で、金は送ってくれず、金がなければ、古兵にイジメられるので、首をククって死んだり、川へとびこんで死んだり、又は鉄道で死んだりした者が、何ほどあるかしれぬのである。
こんなグアエ(具合)に、小作人諸君をイジメルのだもの。諸君が、朝は一番トリにおき、夜はクラクなるまで働いたとて、諸君と貧乏は、ハナレルことはできない。
コレハ全体なぜであらうか。おなじ人間にうまれておりながら、地主やかねもちの家にうまるれば、二十四五までも、三十マデモ、学校や外国に遊んでおつて、そうして、うちにかい(帰)れば、夏はスズシキところに、暑さをシノギ、冬はあたたかき海岸に家をたって、遊びくらしておるデハナイカ。自分は桑のは一枚ツミもせずに、キヌのきものにツツマツテ、酒池肉林と、 ゼイタクをしてなんにもせずに一生を遊び送るノデアル。諸君は、シラヌデあらうが、 大地主やかね持が、夏の三十日を、日光や箱根デ遊ぶのに、一人デ、二千や三千の金をつかふと云ふではないか。三千円とよー。諸君が二十歳のとしから、五十歳まで、やすまずクワズに働いても、三千円といふカネは出来まいではないか。そうして、其人たちは兵士などには出なくても宜いのデある。
小作人諸君、諸君もキツト今の金持や大地主のやうに、ゼイタクをしたいであろう。タマニハ遊んでおつて、ウマイ物をたべたいであろう。けれども、それが諸君に出来ないと云ふのは、 諸君が一つの迷信を持つておるからである。おや先祖のムカシから、コノ迷信を大事にしておつた為に、地主や金持のスルヤウナぜいたくを、夢にも見ることが出来ないのである。 われわれの言ふ事をキイテ、今すぐにも其迷信をステサイすれば、諸君はほんとうに安楽自ゆう(由)の人となるのです。
しかし、天子や金持は、諸君にコノ迷信をすてられては、自分たちが遊んでゼイタクをすることが出来なくなるから、ムカシヨリ天子デモ大ミヤウ(名)でも、この迷信をば、無くてはならぬ、 アリガタキものにして、諸君をあざむいてキタノデある。それだから、諸君の為には、今の天子デモ大臣デモ、昔の徳川モ大ミヤウも、おや先祖の昔から、恨みカサナルだい(大)敵デあるといふことを忘れテハナラヌ。
明治の今日も其とふり。政府は一生ケン命で、上は大学のハカセより、下は小学校の教師までを使ふて、諸君に此迷信をすてられぬヤウニしておる。そして、諸君は又、之をありがたく思ふておる。だから諸君は一生涯、イヤ孫子の代まで、貧乏とハナレル事は出来ない。然らば、 小学教師などが、諸君や諸君の子供に教えこむ迷信と云ふのは何であるか。迷信といふは、マチガッタ考へを大事本ぞん(尊)に守っておる事を云ふのである。ナゼニ諸君が昔から、此マチガツ夕考へを持っておるかと云ふことはあとにして、どう云ふマチガッタ考が迷信であるかといふことを語つてみやう。
△諸君は地主から田や畑をつくらしてモロウカラ、其お礼として小作米をヤラねばならぬ。
△諸君は政府があればこそ、吾々百性(姓)は安心して仕事をしておることが出来る。其お礼として税金をださねばならぬ。
△諸君は国にグン(軍)備がなければ、吾々百性は外国人に殺されてしまふ、それだから若い丈夫の者を、兵士にださねばならぬ。
と云ふ。此三ツのマチガツタ考へが深くシミ込んでおるから、イクラ貧乏しても、小作米と税金と子供を兵士に出すことに、ハン対することが出来なくなっておる。モシモ小作米をださなくも宜しい、税金をおさめなくても宜しい。かわいい子供を兵士にださなくても宜しいなどと云ふ者があれば、ソレハむほんにんである、国賊である、などと云ふて、其じつ、自分たちの安楽自由の為になることを、聞く事も読む事もせずにしまふ。ココハ一番トーく考へて、読んでいただきたい。
然らば、ナゼ小作米を地主へださなくても宜しい者(もの)かと云ふに、ソレハ、小作人諸君が耕やす所の田や畑を、春から秋までも、鍬もいれず、タネもまかず、コヤシもせずに、ホツテおいてづらんなさい。秋がきたとて米一粒出来ませぬ、夏になつても麦半ツブとれる者でない。ココを見れば、スグにしれるではないか。秋になつて米ができ、夏になつて麦ができるのは、百性諸君が一年中、アセ水ながして、やすまずに働いた為である。ソウして見れば、自分が働いて出来たコメや麦は、ノコラズ百性諸君のものである。何をねボケテ地主へ半分ださねばならぬと云ふ理クツがあるか。
土地は天然しぜんにあつた者を、吾等の先祖が聞こんして食物の出来るやうにしたのである。 其土地をたがやしてトつタ物を、自分の者にするのが、何でムホンニンである。
小作人諸君、諸君はながいあひだ地主に盗まれてきたのであつたが、今といふ今、此迷がさめて見れば、ながいながい恨みのハラヰセに、年ご(貢)を出さぬバカリでなく、ヂヌシのクラにある、 麦でも金でもトリカへス権利がある。ヂヌシのクラにアルすべての物をトリダスことは、決しで泥坊ではない。諸君と吾等が久しく奪はれたる者を、回復する名誉の事業である。
ツギニ、政府に税金をださなくても宜しいと云ふことは、ナゼであるか。小作人諸君、ムツカシイ理くつはいらぬ。諸君は政府といふ者のある為に、ドレダケの安楽が出来ておるか。少しでもこが政府様のアリガタイ所だといふことがアツタナラ言つて見たまい。昔から、泣く子と地頭には勝たれぬといふて、無理な圧制をするのが、お上の仕事とキマツテおるではないか。コンナ厄界(介)の者をイカシておく為に、正直に働いて税金を出す小作人諸君は貧乏してヲるとは、 馬鹿の頂上である。
諸君は、こんな馬鹿らしい政フ(府)に、税金を出すことをやめて、一日もハヤク厄界(介)ものを亡ぼしてシマフではないか。そうして親先祖の昔より、無理非道に盗まれた政府の財産をトリ返して、みんなの共有にしやうではないか。之は諸君が当然の権利で、正義をおもんずる人人は、 進んで万民が自由安楽の為に政府に反抗すべきである。
今の政府を亡ぼして、天子のなき自由国にすると云ふことが、ナゼむほんにんのすることでなく、正義をおもんずる勇士のすることであるかと云ふに、今の政フの親玉たる天子といふのは、諸君が小学校の教師などよりダマサレテおるような、神の子でも何でもないのである。 今の天子の先祖は、九州のスミから出て、人殺しやごう盗をして、同じ泥坊なかまのナガスねヒコなどを亡ぼした、いはば熊ざか(坂)長範や大え(江)山の酒呑童子の成功したのである。神様でもないことは、スコシ考へて見ればスグしれる。二千五百年ツヅキもうしたといへば、サモ神様ででもあるかのやうに思はれるが、代代外はバンエイ(不明)に苦しめられ、内はケライの者にオモチャにせられて来たのである。
明治になつても其如く、内政に外交に、天子は苦しみ通しであらうがな。天子の苦しむのは、 自業自得だから勝手であるが、それが為に、正直に働いておる小作人諸君が、一日は一日と食ふことにすらくるしんでおるのだもの。日本は神国だなどと云ふても、諸君は少しもアリガタクないであらう。
コンナニわかりきった事を、大学のハカセだの学士だのと云ふヨワムシ共は、言ふこともかくことも出来ないで、ウソ八百で人をダマシ、自らを欺いておる。又小学校の教師なども、天子のアリガタイ事をとくにはコマツテおるが、ダンダンうそが上手になって、一年三ドの大祝日には、ソラトボけたまねをして、天子は神の子であると云ふことを、諸君や諸君の子供に教へ込んでおる。そうして一生涯、神の面をかぶった泥坊の子孫の為に、働くべく使うべく教えられるから、諸君はイツマデも貧乏とハナレルコトは出来ないのである。ココまでとけば、イカニ勘忍づよい諸君でも、諸君自身の、奪はれておつた者をトリカエス為に、命がけの運動をするきになるであろう。
小作人諸君、諸君はひさしき迷信の為に、国にグンタイがなければ民百性(姓)は生きておられん者と信じておつたであらう。ナルホド昔も今も、いざ戦争となれば、ぐんたいのない国はある国に亡ぼされてしまふに極つておる。けれども、こは天子だの政府だのと云ふ大泥坊があるからなのだ。
戦争は政府と政府とのケンクワでわないか。ツマリ、泥坊と泥坊がナカマげんくわする為に、 民百性(姓)がなんぎをするのであるから、この政府といふ泥坊をなくしてしまへば、戦争といふ者は無くなる。戦争がなくなれば、かわい子供を兵士にださなくても宜しいと云ふうことわ、スグにしれるであらう。
ソコデ、小作米を地主へ出さないやうにし、税金と子供を兵士にやらぬやうにするには、政府と云ふ大泥坊を無くしてしまふが一番はやみちであるといふことになる。
然らば、いかにして此主義を実行するやと云ふに、方法はいろいろあるが、マツ小作人諸君としてわ、十人でも二十人でも連合して、地主に小作米をださぬこと、政府に税金と兵士をださぬことを実行したまへ。諸君が之を実行すれば、正義は友をますものであるから、一村より一ぐん(郡)に及ぼし、一ぐんより一県にと、遂に日本全国より全世界に及ぼして、ココニ安楽自由なる無政府共産の理想国が出来るのである。
何事も犠牲なくして出来る者ではない。吾と思わん者は此正義の為に、いのちがけの運動をせよ。
(ヲワリ)
概要 内山愚童

内山愚童は1874年5月17日、新潟県小千谷市に宮大工の長男として生まれ、明治期に活動した曹洞宗の僧侶であり、社会主義・無政府主義思想に共鳴したことで知られる。仏教と急進的社会思想との接合を試みた、日本近代における特異な宗教者の一人である。
1874年、静岡県田方郡に生まれた。幼少期に両親を亡くし、兄に養育された後、1897年に出家。東京・駒込の真頂院に住職として入る。布教活動のかたわら、当時の農民の窮状や国家制度に対する批判的関心を深め、1900年代半ば以降、社会主義者やアナキストとの接触を強めていく。
しだいに、土地私有制や徴兵制、天皇制を否定し、労働者・農民による生産物の直接的享受と、国家の廃絶を訴えるようになる。自坊に簡易印刷設備を設け、反体制的内容を含むパンフレットを発行。これらの出版物においては、仏教用語を援用しつつ、税制・土地制度・国家による暴力の正当化に対する倫理的批判を展開した。
1910年、大逆事件に連座。証拠に乏しいまま、翌1911年1月24日に死刑(絞首刑)を執行された。享年36歳。大逆事件において死刑となった24名のうち、僧籍にあったのは内山のみである。
死後長らく公的言論から排除されていたが、1993年、曹洞宗は内山の名誉を回復し、宗門における復位を正式に発表した。近年では、日本仏教における社会的実践の系譜や、宗教と政治の関係を考察する上で、再評価の対象となっている。
概要「無政府共産」

1908年(明治41年)10月に作成された小冊子。林泉寺にある須弥壇の袋棚の中で極秘に印刷された。表紙にあしらわれた赤旗に「無政府共産」と書かれ、また赤旗事件の被告人の入獄を意識して「入獄紀念」とも書かれている。内容は、「天子金もち大地主。人の血をすふ、ダニがおる」という文句にはじまる天皇批判や、地主制度批判、非軍備論など。1000部ほど印刷された。
終わりに
愚童が殺されたのは今の私と同じ36歳のとき。
これがネットの海に転がっていない、かんたんに読めないのでは愚童も浮かばれない。
ひとりの人間が命をかけた文章だから、ここに公開することにする。